院長挨拶greeting

ご挨拶greeting

唯善クリニックでは患者さまの気持ちを第一に考えた、やさしい医療をめざしています。
唯善クリニックでは患者さまの気持ちを第一に考えた、やさしい医療をめざしています。

この度は唯善クリニックのホームページをご覧いただき誠にありがとうございます。

当クリニックの「唯善(ゆいぜん)」という言葉は、院長 竹口甲三の法名から取らせて頂きました。
当クリニックの名称として法名の「唯善」を使わせていただくのは誠に喜びであります。

仏教の精神である和顔愛語(穏やかな表情と優しい言葉で接する)、応病与薬(病気に応じた治療を行う)は、まさに現代医療に求められているものと感じております。
診療にあたりましては、常に患者さまの立場に立ち、誠心誠意ケアさせていただく所存です。
皆さまのかかりつけ医としてご信頼をいただけるよう努力してまいりますので、何卒よろしくお願いいたします。

院長 竹口甲三

近隣の総合病院との診療提携
院長 竹口甲三

昭和25(1950)年 北多摩郡昭和町(現 昭島市)生れ。
地元の玉川小学校、国立町(現市)の桐朋中学・高等学校、国立弘前大学(青森県)医学部。
卒後は慶応義塾大学病院内科学教室(呼吸器内科)に入局。
共済立川病院・川崎市立井田病院等に勤務ののち平成20年(2008)8月から唯善クリニックを開設。
医学博士。日本内科学会認定内科医。日本呼吸器学会専門医。立川市医師会会員。
東京都の呼吸器機能障害認定申請医。西本願寺医師の会会員。
2015~2022立川市医師会理事(公衆衛生担当)。
2016~立川市立第四小学校内科校医。
2014~多摩立川保健所の大気汚染障害認定審査会委員、同 感染症の審査に関する協議会委員。

  • profile

    小学校・中学校時代から自転車で近くの多摩丘陵を走り回っていた。
    中学3年から大学まで一貫して山岳部に所属(主将の経験も)。
    大学時代(1974夏)カラコルムにトレッキング。
    フンザ王国が名目的に存在していた時期で、ミール(国王)に謁見の機会を得た(その年の秋に王国消失)。

    井田病院勤務時1992には明治大学山岳部のチョモランマ遠征に医師として同行し(隊として登頂は不成功)、
    仮C1アタックキャンプ(6350m)まで登らせて貰った。
    日本の山では、大学山岳部で二度冬の日高山脈(北海道)に入山、1974元日に北アルプスの劔岳に吹雪の中登頂、1992 1月2日に富士山山頂でテント泊など。
    奥多摩の秋川流域で1993年から催されている「日本山岳耐久レース」には初回から出場で2023現在で22回完走。沢登りは奥多摩のかなりの沢と丹沢・奥秩父などを遡行。今でも年1,2回は。

    その他、重大出来事と言えば高校2年生の時、丹沢のザンザ洞(沢)でザイル確保の杜撰さから滝頭から8m内外落下し頭を太い流木にぶつけ、「カーン」と乾いた音を谷に響かせたこと、現存人類では唯一の存在ではないかと密かに思っている。

    自転車では、東京-青森、青森-富山、三陸沿岸(2011東日本大震災の数年前)など。
    最近は低い山を30年来使用のマウンテンバイクで走るのが面白いと感じている。

    音楽は中学時代から授業でやってる縦の笛を吹いていたが、大学で横の笛の教室に暫し通い、大学オーケストラでフルートの2ndパートなど。卒後はそれだけでは出番が少ないとファゴットも始め、日野青少年オーケストラ(当時)・築地本願寺楽友会(当時)などで。開院後はクリニックで2010から「院長の勝手にコンサート」を適宜開催中(2024現在41回)。聴きに来てください。(何時まで出来るか不明ですが。)

ロゴマーク由来Origin of logo mark

5本のラインで構成したモチーフは、「掌(たなごころ)」を象徴したものです。

掌とは、“手の心”を意味する言葉であり、心を開くこと、感謝の気持ちを表すことに通じます。

このロゴマークに、心のこもった医療を目指す当クリニックの理念を表現しました。

診療時間

042-527-6711

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